本流を本流たらしめてるのは傍流であり、
傍流を傍流たらしめてるのは本流である。
この世界に絶対的なものは存在しないのである。
でも、その事実に落ち込むほど私は青くはない。
むしろ、表裏一体であるならば、
1を知ることで2を知ることができる
なんて素晴らしいシステムだろうとほころぶのである。
私はグミの世界を走る大きな川を見渡している。
すみっこだったりはじっこだったりが私は好きだ。
だからどうしても、重箱の隅をガサゴソとするような行動をとりがちである。
グミを知るために、と意気込んでいても、未だ見ぬ路傍の世界が艶めかしく輝いているように思える。
でも。でもだ。
傍流に行き着くには本流を知らなければならない。
だから私は、とりあえずグミ界の王道をひた走るパッケージを手にした。
明治『果汁グミ』。
なんとストレートなネーミングだろう。
しかし、私の小さい頃から、彼はこの世の本流で輝き続けている。
私が購入したのは温州みかんだ。
ぶどうと迷ったが、ぶどうを選びがちな自分にとって
文章を書く上で大切なのは新鮮さだと思い、3回ほど逡巡してレジに持ち込んだ。
開封して手に取ると、みかんの一切れを模ったグミが現れる。
当たりか!?
と私は声をあげそうになった。
リアルを模した菓子食品は、私の感覚でレアな<当たり>なのだが、
そんな商品があったかどうかは思い出せない。
そんな情報や、そんな感覚をお持ちの方がいらっしゃったらコメントを頂戴したい。
で、食す。
食感は弾力のあるグミキャンデー。しかし、口に広がる風味はみかんそのものだ。
カルガモの刷り込みのように、幼児の頃からみかんだと教えられながらこのグミを食べたせいで
大人になってもずっと『果汁グミ』をみかんだと言い張る人がこの世界に一人くらいはいるはずだ。
もう一つまみ。
またみかんの形。当たり!
いやそんなはずはない。
これは当たりじゃないのか。
と思っている間に、前に食べたグミは食道を通っていった。
このグミは柔らかい。やっぱり私が小さい頃から触れ合っていただけのことはある。
老若男女に受け入れられるのは、この柔らかさこそなのであろう。
これは単純に食感だけの話ではない。長く愛されるには<柔らかさ>が必要なのだと。
また一つ勉強になった。
最後の一粒を飲み込むと、なんだかみかんの季節が懐かしく感じた。
でもやっぱりぶどうが食べたかったな、と思ったので
もう一袋買うことにしよう。
いや、やっぱりまたいつかの機会でいいかな。
『果汁グミ』はきっと未来でも
ずっとスタンダードとして変わらぬ姿を見せてくれているはずだから。
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